タムロチェリーさんとの出会いは、2001年9月2日の重賞「小倉2才S」。
最低人気で、大外から14番のゼッケンを着けた彼女が、
ゴール寸前、凄い末脚で1着に飛び込んで来た事から始まります。
単勝万馬券を演出した彼女のお陰で、青森の生まれ故郷を訪ねる事が出来、
G1阪神JF優勝の他、牝馬三冠のクラシックレースやエリザベス女王杯…
出走した殆どの大レースの応援に駆けつける喜びも貰いました。
抽せん馬として、宮崎育成牧場でトレーニングを積み、
G1馬となった事から「タムロチェリーを目指せ!」を合言葉に
2003年からは「JRA育成馬」と呼ばれる若駒達が鍛錬を積んでいます。
そして其処には、顕彰碑と共にチェリーさんの名に因んだ桜の木が植えられ、
毎年季節になると綺麗に花を咲かせるそうです。
病気や怪我もなく毎回元気に出走していた彼女が、無事に引退し、
生まれ故郷で母となり、3頭目のタムロスカイ号の傍らでガンにより
8才の若さで亡くなった事を知った時は、悲しくてなりませんでした。
この最後の産駒タムロスカイ号も2013年のメイSで、
6才の誕生日を迎えた10日後に18頭中16番人気ながら、
単勝192.8倍の万馬券を演出。
出走馬の中には、チェリーさんが手の届かなかった桜花賞の
勝ち馬マルセリーナ号もいました。
高額な良血馬に負けたくない抽せん馬としての意地が、
唯一の娘から、孫の重賞馬ミライヘノツバサ号を輩出したように思います。
また…自身が眠る故郷で余生を送るタムロスカイ号を大切にして下さっている
牧場の方達の温かさに感謝しての後押しもあったのではないでしょうか。
日経賞2着の後、屈腱炎で1年半もの休養に入り、復帰後低迷が続く中、
与えられた場所で懸命に走ってきたツバサ君の頑張りもさる事ながら、
重賞制覇の快挙は、血の為せる業でもあり、周りの人達の努力の賜物ですね。
ツバサ君のダイヤモンドS優勝の陰にあった沢山のドラマ、感動の原点は
私にとって「タムロチェリー」貴女です。
〈写真〉宮崎育成牧場の顕彰碑と桜の木
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