8月2日の総合馬術で、JRA 職員の戸本一真選手が
ヴィンシー号と共に4位に入賞し、
「89年振りのメダル獲得はならなかったけれど
大健闘であった」というニュースを見て、
もう随分前に、国会図書館から借りて読んだ本に書かれていた
西竹一選手とウラヌス号、尾形藤吉調教師とアスコット号の
心温まる逸話を思い出しました。
89年前のロサンゼルスオリンピックの障害飛越で、
西竹一選手とウラヌス号が金メダルを獲得した快挙は、
誰もが知っている事ですが…
次の1936年ベルリンオリンピックにも
ウラヌス号は西竹一選手と共に障害飛越に出場しました。
4年の時を重ねて高齢になり、良績は修められませんでしたが
出場に至るまで更に鍛錬を積んだであろう事は、想像に難くありません。
その今から85年前の大会に、帝室御賞典(天皇賞)等17勝を挙げた
元競走馬のアスコット号が、総合馬術馬として出場しました。
私の乏しい記憶の中で、ハッキリと覚えているのは、
西竹一選手が、後に戦場である硫黄島へと赴く時、
「馬事公苑で余生を送っているウラヌス号に逢いに行き、
肌身離さず彼の鬣を胸に戦い、戦死した…」
そして、嘗てアスコット号を管理した尾形藤吉調教師が
「ベルリンに向かう港にアスコット号を見送りに行き、
自ら首に御守りを掛けてあげ…」
総合馬術で50頭中12位の成績を修めた時、
「アスコットが数々の難関を切り抜けて
(沼に填るというアクシデントがありながら)
野外騎乗でゴールに入ったと聞いた時は、
競馬に勝った時より嬉しかった」 …という箇所です。
その後、ウラヌス号は、老衰で亡くなり埋葬されましたが、
お墓のあった所は爆撃に遭ってしまったそうです。
アスコット号は、次の1940年東京オリンピックに向けて
訓練を重ねていたけれど、戦争の激化で開催中止となり、
1941年まで全国の競技会に出場した後、東京都長官に寄贈されましたが
戦時下の混乱の中で、最後の様子も没年も不明との事です。
オリンピックも競馬も、勝者になれるのはほんの一握り…
敗者として光が当たらなくても、馬達に深い想いを寄せてくれる
人達が必ずいるという事に救われる気がします。
写真/
〈上〉1932年ロサンゼルスオリンピックでの西竹一選手とウラヌス号。
〈下〉西竹一中佐とアスコット号。(wikipediaより引用)
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