2月8日の「佐賀記念」に、
11年前のこのレースの優勝馬であるメテオロロジスト号が、
誘導馬として登場しました。
現在福岡の乗馬クラブで乗用馬として暮らす彼は、
何度も佐賀競馬場へと
福岡県久留米市の久留米城址内にある「有馬記念館」では、
旧久留米藩有馬家14代当主であった有馬頼寧が創設した
「有馬記念」の映像が流されます。
世が世であれば殿様であった有馬頼寧が、
今から11年前、
タムロチェリーの故郷の牧場長さんから
「三浦春馬君、知っているでしょう?
ウチの牧場に来られたのですよ」と教えて頂きました。
その来訪は、JR東日本のCMの撮影の為で
8月11日佐賀1R、いつものように出遅れて、
大差での殿入線であるにも拘らず
いつまでも引き揚げて来ないので不安になり、
遠くから見守っていましたが…
ようやく帰って来た時は脚を引きずってい
8月2日の総合馬術で、JRA 職員の戸本一真選手が
ヴィンシー号と共に4位に入賞し、
「89年振りのメダル獲得はならなかったけれど
大健闘であった」というニュースを見て、
もう随分前に、
今から24年前、改装前の小倉競馬場でのデビュー戦から
応援していたメイショウオウドウ号は、
7月18日、26年の馬生を終え、天国へと旅立っていきました。
20年前、小倉競馬場のターフビジョン
10年前のあの日、3月11日に馬名登録された「ハナハサク」。
6月20日午前7時55分、曳き運動中に急死…
その一週間前、晴れ舞台であるデビュー戦を闘って、
天へと還っていきました。
カゼノシッポさんの休養先である馬主さんの牧場では
所有馬であったクワッドアクセル号、ナル号が余生を送っています。
クワッドアクセル号(牡9才)は、
中央の平地で2勝、障害で1勝を挙げた
佐賀競馬所属のカゼノシッポさん(牝8才)が
1月のレースで鼻出血を発症した為、
馬主さんの牧場で休養する事を知り
4月26日に逢いに行って来ました。
樹々に囲まれ、風通しの良い静かな<
昨日、フェブラリーSが終了した少し後、
「アブクマポーロ君が心臓麻痺で亡くなりました」と
友人から連絡がありました。
昨年9月に会いに行った時、29才の高齢とは思えない程
元気にして
生まれ故郷の吉田牧場で、スティールキャスト号と
余生を送っていたフジヤマゲンスイ号が、
12月25日、26年の生涯を閉じました。
目の癌を患っていたゲンスイ君は、
12月17日に歩けなくな
3年半前、閉鎖されたオーシャンファームから
浦野牧場へ引き取られたメリー(牝・31才)が、
11月17日午後4時10分、天国へと旅立ちました。
前日疝痛を起こした為、獣医さんに診て貰い
注
九州種馬場の近くのご夫婦二人で営まれている
小さな牧場で生まれたダイハチ。
ハリ治療を受けながら、やっとデビューに漕ぎつけた
この頑張り屋さんは…
8月10日の佐賀6Rの2角辺り
荒尾競馬引退後の8才の時、熊本の牧場で出会ったスティールキャスト号。
その時、吉田牧場のファンだった年配の女性の方が引き取っておられ、
ずっとその方に大切にされて、幸せな余生を送っている
今月に入り、具合が悪く懸命な治療が施されていた
九州種馬場で余生を送るダンツシアトル号が、
最後は立てなくなり、9月24日朝、天へと旅立ちました。
30才の高齢ながら、苦手な夏を乗り越え
清里の牧場で余生を送っていたアルゼンチンタンゴ号。
6月に脚を痛めて、懸命な治療が施されていましたが、
7月5日朝、馬房で治療していたのとは別の脚を骨折して転倒し
起き上がる事が出来な
仔馬の時、会いに行ったグレートセブン。
母のトウカイテイオー全妹の娘トウカイユニバースは、
僅か半年一緒に暮らしただけで北海道へ帰って行きました。
その牧場に一時預託されていたリッチ
タムロチェリーさんとの出会いは、2001年9月2日の重賞「小倉2才S」。
最低人気で、大外から14番のゼッケンを着けた彼女が、
ゴール寸前、凄い末脚で1着に飛び込んで来た事から始まります。
単
2月22日、ダイヤモンドS優勝で、
父ドリームジャーニー、オーナー、調教師さんに初重賞制覇を
プレゼントしたミライヘノツバサ号。
父に選んだ理由を「最高の種牡馬と思ったから」と
話さ