こんばんは
日付が変わる1時間ほど前に大きな地震がありました、あと1ヶ月で東日本大震災から10年になります。
私がこのサイトにきて最初の3月11日に書いた日記のコピーです、防災や避難もいろいろ方法がありますが「心構え」というか「意識」というのが大事になるはずです、以下コピーです。
まず最初に
東日本大震災の津波を体験した方で思い出したくない人、辛い思い出のある人は読むと思い出してしまうでしょうから読まないで下さい。
3月11日が近づくと、テレビやラジオでは防災に関係する番組が増え、あの日の教訓を全国へ広めようと様々な角度から津波の怖さを伝えています。
「津波がくる前にできるだけ高いところへ、迷わずすぐに逃げなさい」
東日本大震災で多くの犠牲者が出て、こんな当たり前の事を言われても全国の皆さん津波に対する意識が変わるものでしょうか。
いえ、きっとそれほど変わってはいないのだと思います。
もし海の近くに住んでいらっしゃる人が読んでいたら想像してください。
まずは地震がきました、それも地震の多い東北地方の私達が体験した事も無い揺れかたで、5分近く揺れていたように感じました、仙台市内の信号機は全て消え電柱は真っ直ぐ立っているものがありませんでした、道路もあちこちでヒビが入り所々が陥没しました、建物にもヒビが入り崩れるものもありました。
そして揺れがおさまり落ち着きを取り戻した時に、直感で津波がくると思った人が多かったと思います。
ここまでを想像した全国の海辺の皆さん、あなたやあなたの大切な人は大丈夫ですか?電話も通じない、逃げたくても地震の影響で逃げられないかもしれませんよ。
この状況をわかってから東日本大震災での津波動画を見たら、海に向かって走る無謀な車たちがどんな想いで海に向かったのか理解してもらえると思います、私が感じたどうにもならない津波の1番の怖さはこれなんだと思うのです。
次の日から避難所で、無事に現地の人と避難して助かったお爺さんやお婆さんが、自分を助けに行って亡くなった子供や孫の報せを聞くのです。。。
助けに行ける距離にいなかった人は自分の命は助かります、あとは避難所に大切な人が居てくれる事を祈り探すしかないんです。
私は電話が通じたならもっと多くの人が助かったのではないかと思っています、自分が助からないと悟った時に家族や大切な人へ「無事に避難できたよ」と伝えて愛する人を助ける事ができるから。。。
千年に一度と言われているので、多分私達が生きている間にまた来るとは思えませんが、津波は到達するまでの時間のせいで生き残った人の心に大きな傷を残してしまう事は知っていてもらいたいと思い、今回は文章にしてみました。
海辺に住んでいる人は家族や友達と話し合い、万が一津波がきた時に離れていた場合はどうするか決めておくのが良いと思います
以下の対応が可能です。
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