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講談『亀井善行物語』巨人編前編
658 2021/10/21 16:21

2005年、プロ野球生活をスタートさせた亀井は二軍で打率.320、10本塁打、6盗塁と頭角を表しシーズン終盤に一軍に昇格と順調なスタートを切ると共にシーズンオフには結婚を発表。奈良県出身の巨人の選手は早婚の伝統を作り岡本にその伝統を引き継いだのである(ホンマかいな)
順風満帆な滑り出しをした亀井だったがプロ入り2年目の2006年は65試合の出場にとどまり、打率も2割をやっと超えるシーズンとなりプロの壁に突き当たった。翌2007年はさらに出場機会を減らし20試合で23打席しか打席に立てなかった!試練を乗り越える為、そのオフには高橋由伸と沖縄で自主トレを行った。翌2008年は谷が開幕から不振に陥り開幕6試合目で2番打者に大抜擢されると結果を出し5月からは1番打者に定着した。しかし日本ハム戦で右足関節を捻挫、その後ケガで何度も苦しめられる始まりであった。7月に一軍復帰してこの年は96試合に出場して準レギュラーの座を掴んだ。中日とのCSでは負傷した鈴木尚広に代わり1番でスタメン出場、14打数7安打の大活躍でチームの日本シリーズ進出に大貢献した。翌2009年には清水隆行の移籍により背番号9をつけ巨人の9番と言えば亀井との知名度をグングンと上げていった!その亀井の名前が更に世間に知られるきっかけは第2回WBCの日本代表に選ばれたことである。選出理由は守備力の高さで、華麗な守備は、その後の亀井のトレードマークとなったのだった。開幕戦では1番ライトでスタメン出場するも調子が上がらず序盤は苦戦したが、中日の絶対的クローザーの岩瀬から代打逆転サヨナラスリーランの離れ業でアピールし中盤からはイ・スンヨプの不調もあり5番に大抜擢されるのであった。途中、6月には25打席、8月には28打席無安打と大スランプに陥ったが球団記録に並ぶ3本のサヨナラ本塁打を放つなど25本塁打を打ち初めて規定打席に到達した!日本シリーズでも日本ハムの武田から同点ホームランを放つなど日本一に貢献した。そしてオフには初のタイトルとなるゴールデングラブ賞を受賞、年俸も倍増し押しも押されぬ巨人の中心選手に躍り出たのである。
♪パパンパンパン♪
それでは、巨人時代前編はここまでとさせていただきますまた怒涛の巨人時代後編でお会いしましょう

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