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『講談 亀井善行物語』怒涛の巨人時代後編
202 2021/10/21 17:17

2010年、開幕から5番に起用されたが前年の活躍からうってかわり不振に陥った亀井は故障が追い打ちをかけ3度もの二軍落ちを味わう羽目になる!その年、鳴り物入りで入団したルーキー長野に出場機会を奪われ71試合、打率.185、5本塁打、17打点と屈辱のシーズンを終え減額制限を超える30%減額で契約更改した。秋季キャンプでは原監督の意向でサードへのコンバートが決まり亀井に取って正念場を迎えることとなった。翌2011年、開幕こそ新外国人のライアルにサードを譲ったが、ライアルの不調で徐々に出場機会が増え、復活への狼煙を上げたかに見えたが5月の広島戦の試合前の練習中にノックの直撃で右手の薬指を骨折してチームを離脱した。6月に復帰するものの一時は3割を超えていた打率も中盤以降急落して定位置確保に暗雲が立ち込めた!結局、この年ライト、センター、レフト、ファースト、サードと守れるポジションでスタメン出場したが111試合の出場にとどまり満足のいくシーズンとはならなかった!翌2012年、三塁手としてFA加入した村田修一とポジション争いをする予定だったがチーム事情により主に外野手として出場する。9月には初のセカンドの守備につきその器用さを存分に発揮したのである。この年も多くのケガに見舞われ4月の頭部への死球での鼻骨骨折に始まり7月には左親指の捻挫などに苦しみ117打席と2010年を下回る60試合にしか出場できず亀井の陰には常にケガのリスクがつきまとうこととなった。翌2013年にもキャンプイン直後に練習中に左ふくらはぎの肉離れを発症する不運に見舞われた。それでも5月には一軍復帰して球団5500勝を亀井の逆転サヨナラ打で決めるとレギュラーに定着して主に2番ライトで86試合の出場を果たした。翌2014年は2月にまたも右手の人差し指第一関節の骨折をしたが手術を受け回復、5月末にはオリックス戦で一軍復帰して7番ライトでスタメン出場すると延長12回に馬原から決勝のソロ本塁打を放ち勝負強さを発揮した。その後もレギュラーで活躍してチームを二度目の交流戦優勝に導き交流戦MVPの栄誉に輝いたのである。何度となくケガに見舞われるがその都度、不屈の闘志で復活して劇的な一打を放ちファンを魅了する亀井
そんな亀ちゃんをファンは狂喜乱舞して受け入れたのである!

♪パパンパンパン♪
それでは、怒涛の巨人時代後編はここまでとさせていただきますまた怒涛の巨人時代 死闘編でお会いしましょう

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  • ねずこ(うーたん)がいいね!と言っています。 2021/10/26 22:16
  • 闘魂オヤジ 2021/10/21 18:51
    そうサヨナラ慎ちゃんとサヨナラ亀ちゃんでしたでも現役サヨナラは寂しいですね
  • ごっちがいいね!と言っています。 2021/10/21 17:38
  • ごっち 2021/10/21 17:38
    闘魂オヤジさん、亀様の物語をありがとうございます。

    レギュラー取るかな~と期待していると怪我…でも何度でも何度でもまた戻ってきてくれましたよね。

    サヨナラといえば慎之助、そして亀井。本当に寂しくなります。
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