突然のヘンテコりんな来訪者の和真を監督の前に連れていくと、とりあえず守れればいいからサードでノックを受けてみろと言われサードの守備につく和真!数球ノックを受けただけでそのグラブ捌きの柔らかさやファーストへの正確な送球を見て監督が満足そうにうなずいた!「よし、試合に出てくれ!ただしユニフォームは全日本のユニフォームに代えろよ」和真は少し嬉しそうに「オリンピックで侍ジャパンのユニフォーム着られなかったけど初代全日本のユニフォーム着たぞって、帰ったら村上に自慢してやろ!ところでオレ帰れるのか?まっいっか」どこまでもポジティブな和真である。昭和9年(1934年)に開催された日米野球はメジャー選抜としてアメリカで大人気のベーブルースをはじめルーゲーリック、ジミーフォックスのメジャー三大ホームラン王と速球王のレフティゴメスを擁した最強チームをコニーマック監督が率いる全16試合のビッグイベントである!それを聞いた和真は「ベーブルースって、大谷翔平さんのライバルの?ちょっと違うか」と思いながら武者震いをしたのであった!初戦から、ずっと大敗を続け迎えた第10戦は静岡の草薙総合運動 硬式野球場で開催され先発投手は京都商をこの大会の為に中退して出場した沢村栄治であった。それを知った時、和真は菅野さんが何度も獲った『沢村賞』の創設者か?(これも、ちょっと違う)でも凄い人なのは、ひしひしと感じ気合いを入れる和真であった!今回の全日本チームは後の巨人監督になる魔術師と呼ばれた三原修、巨人で8度の優勝を遂げた水原茂、日本プロ野球初の三冠王となる中島治康ら、そうそうたる野手陣と沢村栄治の他にもスタルヒンなど後の大投手が出場していたが、この時代の日米の実力差は歴然としており日本チームは手も足も出ないでいた!対するアメリカチームは余裕綽々で酒を飲みながらプレーする選手もおり酔った外野手がフライを落球する笑えないプレーもあったようだ!ベンチには暖を取るための火鉢がありビールを熱燗にして茶碗で一気に飲み干す豪快な選手もおり、それを聞いた和真は「ビールを熱燗て?そらホンマの缶ビールやな」とひとりツボにはまって笑い転げた。和真の第1打席は3回表にやっと巡り、ストレートをレフト前に運ぶ痛烈な当たりで出塁するも後続が倒れ無得点に終わった。続く第2打席は6回表、ただでさえほとんど三者凡退の味方打線に加え8番バッターなので、なかなか打席が回ってこないのである!第2打席もストレートを捉えレフト線を破る痛烈なツーベースを放つが後続が倒れまたしても無得点!
…続く
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